正直に告白します。
今の僕は、自分磨きやストイックな生活を今日この瞬間にやめたとしても、何不自由なく生きていくことができます。
50代。ある程度の経験を積み、生活の基盤もある。
わざわざ重いバーベルを持ち上げず、好きなものを食べ、情報の波に身を任せて「物知りな男」として振る舞っていれば、それなりに穏やかな余生が待っているでしょう。
ふとした瞬間、考えることがあります。
「今の自分の行動は、本当に本心からやりたいことなのか?」
考えれば考えるほど、分からなくなることもあります。しかし、その迷いの中にこそ、僕がこの挑戦を続ける理由があります。
1|判断する「権利」は、経験した後にある
経験もしていないのに、「それは自分には合わない」「本心ではない」と決めつけてしまう。
かつての僕にも、そんな部分があったのかもしれません。
しかし、今の僕は考えています。
経験する前から可能性を否定することは、自分自身の成長の機会を奪うことではないか。
自分が本当にそれをやりたいのか、やりたくないのか。その答えは、頭の中だけで考えていても見つからないことがあります。
実際に飛び込み、行動し、経験する。
その過程で初めて見えてくるものがある。
だから僕は、今「経験の途中」にいます。
簡単に答えを出さず、まずは実践を積み重ねる。
必要なら途中で方法を修正する。それでも、納得できるだけ行動する前に、自分の可能性を閉ざしたくない。
それが、僕が自分自身に課している誠実さです。
2|守破離の「守」。あえて他人の価値観に染まる
自分が手に入れたいスキルや、到達したい場所があるなら、まずは徹底的に先行者から学ぶ必要があります。
「自分はこう思う」という中途半端なエゴが、成長を妨げることもある。
だから、まずは素直に学ぶ。
自分の価値観をいったん脇に置き、その人が何を考え、なぜその行動を選ぶのかを理解しようとする。
そして、実際に試してみる。
ただし、他人の価値観に染まることは、自分の思考を放棄することではありません。
まずは学び、実践する。その経験を通じて、何が自分に合い、何が合わないのかを判断する。守破離の「守」とは、僕にとってそのための過程です。
知識として理解しただけでは、まだ自分のものにはなっていない。実践し、失敗し、修正を繰り返す。その積み重ねによって初めて、借り物だった知識が自分自身の経験へと変わっていく。
経験していない言葉と、実際に行動して得た言葉。そこには、確かな違いがあると思っています。
泥を啜り、汗をかき、悔しい思いをし、それでも続けてきた人の言葉には、「体温」と「重み」が宿る。
その人が経験した苦労や喜びが伝わるからこそ、共感が生まれ、魅力となるのでしょう。
3|知識より実践。日常の行動から自分を変える
最近、僕は日常の小さな行動にも意識を向けています。
面倒だと感じたときに、とりあえず動いてみる。
感情が揺れたときに、その感情のまま反応しない。
自分の本能が楽な方向を選ぼうとしたときに、一度立ち止まって別の選択肢を考える。
「本能と逆を行く」
「とりあえずやる」
「感情より規律で動く」
こうした言葉を、知識として理解するだけでは意味がありません。
実際の生活で使えるかどうか。そこに価値があると思っています。
もちろん、毎回うまくいくわけではない。感情に振り回されることもあれば、行動を先延ばしにしてしまうこともあるでしょう。
それでも、気づき、振り返り、次の行動を修正する。肉体改造と同じように、生き様も日々の実践で磨いていきたい。
最後に|50代、ここからが「本物」の始まり
「経験してから、考える。」
このシンプルな規律を貫くことは、時に苦しく、時に自分を疑いたくなる作業です。
それでも、僕は止まりません。経験することのしんどさ、嬉しさ、失敗、改善、そして行動。そのすべてが、僕という人間の「密度」を作ってくれると信じているからです。
今の生活に不自由がないからこそ、あえて自分を磨く。誰かに強制されているわけではない。やらなくても生きていける。それでも、自分の理想を追い求める。
「物知りなだけの男」で終わるのか。
「経験を語れる男」として生きるのか。
僕は、後者を選びます。
結果を急いで証明する必要はない。
まずは、今日の行動を変えること。
そして、その小さな積み重ねを続けること。
51歳。
僕の肉体改造も、生き様の改造も、まだ完成していません。
結果を出すまで、僕は僕を使い倒します。


コメント