「本能と逆を行く」は、休まないことではない。51歳の僕が学んだ、根性論と柔軟な規律の違い。

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    生き様の実践

    「本能と逆を行く」とは、何があっても休まず努力することなのか。51歳の僕が、音声学習の負担、睡眠不足、作業の先送りと再開、脚トレでの不調を通じて考えた、根性論と柔軟な規律の違い。やらない言い訳は作らない。しかし、休まない理由も作らない。


    「面倒くさい」

    「今日は何もしたくない」

    「全部やめて、何も考えずに生活したら、どれほど楽だろう」

    2026年10月30日の朝。

    目が覚めた瞬間、僕の頭に浮かんだのは、そんな思いでした。

    ここ最近、睡眠の質が悪く、朝の目覚めも良くありません。それでも、日々ログ、ジャーナル、WordPressの記事作成など、やりたいことも、やるべきこともあります。

    そんなとき、僕が学んできた言葉が頭をよぎりました。

    「本能と逆を行く。」

    面倒だからこそ、行動する。楽な方へ流されそうなときこそ、逆を選ぶ。しかし最近、この考え方について、一つの疑問が生まれています。

    「本能と逆を行くとは、どんな状態でも無理をして行動することなのだろうか?」

    今回は、実際の生活で経験したことから、僕なりの答えを考えてみたいと思います。


    1|「面倒くさい」は、誰にでも生まれる感情

    今朝、起床したときのことです。

    身体に大きな疲労感はなく、昨日痛めていた首も少し良くなっていました。

    しかし、夜中の4時頃にトイレで目が覚め、その後は眠っているのか分からないような浅い睡眠が続きました。

    朝の目覚めは非常に悪く、目も腫れぼったい。

    そんな状態で、これから行う作業を考えました。

    起床時の身体の撮影。

    画像の編集。

    日々ログの整理。

    ジャーナル。

    そして、前日に休んだことで残っていたWordPressの作業。

    正直に言います。

    「面倒くさい。」

    そう感じました。

    全部やめてしまえば、どれほど楽だろう。何も考えず、普通に生活していれば、それでいいのではないか。そんな思いも浮かびました。

    しかし、そこで考えたのです。

    「面倒だと感じること」と「実際に行動しないこと」は別ではないか。

    感情が生まれること自体は、自然な反応です。大切なのは、その感情を受けて自分がどう判断するか。今の僕は、そこに意識を向けています。


    2|「本能と逆を行く」という教えが、僕を動かしてきた

    僕はこれまで、自分磨きの学習を通じて、さまざまな行動原則を学んできました。

    その中でも、特に印象に残っているのが、

    「本能と逆を行く。」

    という考え方です。

    やりたくないから、やらない。

    面倒だから、後回しにする。

    失敗が怖いから、挑戦しない。

    そうした反応に従うだけでは、今までの自分から変わることは難しい。

    だから、あえて行動する。

    まずはやってみる。

    行動してから考える。

    この考え方は、今の僕の生活でも役に立っています。実際、今日の朝も「面倒だ」と感じながら、作業に取りかかることができました。

    しかし最近、僕は別のことにも気づきました。

    「本能と逆を行く」という言葉を、すべての場面に当てはめる必要はないのではないか。


    3|人から学んだ方法が、必ずしも自分の最適解とは限らない

    以前、音声学習について、こんな考え方を学びました。

    1日に一つの音声を聞き、一つアウトプットするだけでは意識が低い。もっと学び、もっと行動する。結果を出すためには、それくらい取り組む姿勢が必要だという教えです。

    僕は、その考え方を素直に取り入れようとしました。実際に音声を何本も聞き、内容を整理し、自分の感想や気づきを書き出しました。

    しかし、音声4本分の学習とアウトプットを行うと、4〜5時間かかることもあります。これは、想像以上に大きな負担でした。

    学習に時間を使うことで、ほかの作業に使える時間が減る。

    睡眠時間も短くなる。

    その後、やる気が起きない日や、学習のペースが落ちる日もありました。

    もちろん、睡眠の質が悪くなった原因が学習量だけにあるとは断定できません。しかし、少なくとも僕自身の生活では、時間的な負担が大きくなっていたのは事実です。

    そこで、考えました。

    「学習量を増やすことが、必ずしも自分の成長を最大化するとは限らないのではないか?」

    学んだことを否定しているわけではありません。実際に試したからこそ、今の自分には負担が大きい部分もあると分かったのです。

    人から学ぶことと、その方法を無条件に続けることは違う。

    今は、そう考えています。


    4|何もしなかった翌日、作業は午前中に終わった

    10月29日。

    この日は、強い眠気と、何もしたくないという感覚がありました。日々ログやWordPressの作業も、思い切って休むことにしました。

    以前の僕なら、決めたことをやらない自分を許せなかったかもしれません。

    「どんなに辛くても、やり抜くべきだ」

    「今日やると決めたことは、今日終わらせるべきだ」

    そう考えていたからです。

    しかし今回は、翌日が休みだったこともあり、無理に作業を進めず、翌日に回すことにしました。

    そして10月30日。

    朝から溜まっていた作業に取りかかり、午前中のうちに終えることができました。

    昨日休んでも、今日きちんと再開できた。

    ここに、今回の大きな気づきがありました。

    もちろん、作業を溜めると、その分だけ後から負担が増えます。だからといって、体調や睡眠の状態が悪い日にも、必ずすべて終わらせなければいけないのでしょうか。

    「今日やらないこと」と「もうやらないこと」は違う。

    翌日に回す。

    そして、決めた時間に再開する。

    今回の僕には、その方法が機能しました。


    5|休むことを、言い訳にはしない

    ただし、ここで気をつけたいことがあります。

    「疲れているから」

    「今日は気分が乗らないから」

    そうした理由で、何でも後回しにしていたら、やりたいことは進まなくなるでしょう。

    僕自身、それは望んでいません。

    しかし、だからといって、どんな状態でも無理に行動することが正しいとも思いません。

    重要なのは、自分がなぜ休もうとしているのか、そして休んだ後にどうするのかです。

    ただ面倒だから逃げようとしているのか。

    それとも、疲労や睡眠不足があり、休養を優先した方が良い状態なのか。

    もちろん、いつでも完全に見分けられるわけではありません。だからこそ、身体の状態や最近の生活を記録し、判断材料を増やしていく。

    そして、作業を翌日に回すなら、再開する時間も決めておく。

    「休む」と決めたなら、必要な休養を取る。

    「再開する」と決めたなら、実際に行動する。

    どちらも、自分で選んだ行動です。

    僕は、その両方を大切にしていきたいと思っています。


    6|脚トレ中の不調が教えてくれたこと

    今日、もう一つ考えさせられる出来事がありました。

    脚のトレーニングです。

    普段は夕方以降に行うことが多いのですが、最近は睡眠の質が気になっています。夕方以降にトレーニングをすると、寝つきが悪くなるように感じることがありました。

    そこで今回は、昼前にトレーニングしてみることにしました。夜までに身体が落ち着き、睡眠の状態が変わるのか。その違いを確かめるためです。

    しかし、トレーニングの終盤に、頭痛と吐き気が出てきました。午前中は食事をあまり取っておらず、バナナ1本と少量のプロテインを摂取した程度でした。

    僕は、エネルギー不足が関係しているのではないかと考えました。しかし、実際の原因は分かりません。そこで、トレーニングを中止しました。

    その後、食事を取って症状は治まりました。ただし、食事で改善したからといって、原因が低血糖だったと断定することはできません。

    運動中の頭痛と吐き気は、ほかの原因も考えられるため、医療機関で確認してから強度の高い運動を再開したいと思います。

    今回、はっきりしていることがあります。

    「続けること」よりも「中止すること」を選んだ。

    以前の僕なら、あと少しだからと無理をしていたかもしれません。しかし、身体に異変が出ているときまで根性論を優先することは、僕が目指す肉体支配とは違います。

    身体を支配するとは、身体からの危険なサインを無視することではない。

    そう感じた出来事でした。


    7|根性論は捨てない。しかし、使い方を変える

    僕は幼少期から柔道に取り組み、高校ではボクシングを経験しました。全国・世界レベルの選手が集まる環境で、厳しい練習を積んできました。

    そこで培った精神的な強さは、今でも僕の財産です。

    どんなに苦しくても、簡単には諦めない。

    目標に向かって努力する。

    自分の可能性を信じて行動する。

    この姿勢を、僕はこれからも大切にしたいと思っています。

    しかし、今は一つの違いがあります。

    「根性でやり抜くこと」と「根性で無理を押し通すこと」は違う。

    努力が必要な場面では、努力する。

    休養が必要な場面では、休む。

    方法が合わなければ、修正する。

    それでも、目指す方向は変えない。

    51歳になった今、僕が目指しているのは、そんな柔軟な規律です。

    守るべきものは、目的。変えていいものは、方法。

    今までの経験を否定するのではなく、その経験を今の自分に合う形へ更新していきたいのです。


    8|自分の生活に合った、学びと実践のルールを作る

    今回の出来事を踏まえて、今後の行動ルールを整理しました。

    ① 学習量は、睡眠時間を確保できる範囲で決める。

    何本の音声を聞いたかだけでなく、実際に何を理解し、日常で使えたかを振り返る。

    ② ブログと学習は、21時30分を目安に終了する。

    途中でも保存し、続きは翌日に回す。

    ③ 作業を翌日に回す場合は、再開する時間を決める。

    先延ばしではなく、予定を変更するという考え方です。

    ④ 睡眠不足や不調がある日は、作業量を見直す。

    一日の体調だけで判断せず、睡眠や疲労の記録も参考にする。

    ⑤ 学んだ方法は、実践した結果から修正する。

    人から教わったことを素直に試す。

    しかし、自分の身体や生活に合わない部分があれば、方法を変える。

    「知っている」だけで終わらない。

    「試した」だけでも終わらない。

    実践し、記録し、結果を考え、次へつなげる。

    これが、今の僕の行動原則です。


    最後に|本能と逆を行く。その意味を、もう一度考える。

    51歳。

    僕は今も、自分自身を磨き続けています。

    理想の肉体を作る。

    思考や感情を磨く。

    行動を変える。

    そして、自分が目指す生き様へ近づく。

    そのためには、努力も規律も必要です。しかし、努力することと、無理をすることは同じではありません。

    10月29日は、何もしたくなくて休みました。翌30日は、朝から作業を再開し、午前中に終えることができました。脚のトレーニングでは、身体に異変を感じて中止しました。

    そこから改めて気づいたのです。

    「本能と逆を行く」とは、休まないことではない。

    自分の感情や身体の状態を観察し、そのとき必要な行動を選ぶこと。

    やるべきときには、やる。

    休むべきときには、休む。

    方法を変えるべきときには、変える。

    そして、休んだ後は再び行動する。

    やらない言い訳は作らない。

    しかし、休まない理由も作らない。

    これからも、実践と記録を重ねながら、自分にとっての規律を磨いていきたいと思います。

    知識より実践。

    感情より規律。

    言葉より行動。

    根性は捨てない。ただし、根性の使い方は変えていく。

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